あなたと原爆 オーウェル評論集 (光文社古典新訳文庫)
https://gyazo.com/1847c1a002bee4f74417f2cad573d792
発行年月 : 2019年8月
出版社 : 光文社
絞首台までは四〇ヤードほどだった。私は自分の目の前を歩いている死刑囚のむき出しの茶色い背中を見た。男は、膝を決してまっすぐに伸ばさないインド人特有のひょこひょこした足取りで、腕を縛られてぎこちないながらもしっかりとした足取りで歩いていた。一歩ごとにその筋肉はあるべきところに確実に流れ込み、頭に生えた髪の房は上下に揺れ、足は濡れた砂利の上に跡を残した。そして一度など、両肩を看守たちに掴まれているにもかかわらず、道の真ん中にある水たまりを避けようと、男は足取りを少し横にそらしたのである。 (p51~52 「絞首刑」)
記録された歴史の大半が多かれ少なかれ嘘である、という言い方が最近の流行であることは私も知っている。歴史の多くの部分が不正確で偏っているという意見も特に間違っているとは思わない。しかし私たちが生きているこの時代に特有なのは、歴史が正しく書かれうるのだ、という考え自体の放棄である。(...) イギリス人歴史家とドイツ人歴史家とでは、深い部分では、あるいは根本的な部分においても、お互いに意見が合わないだろうが、それでも双方が本気で相手を否定したりはしない中立的事実というものがあるだろう。全体主義が破壊するのは、人間というのはみな同じ種類の動物であるという了解を含んだ、こういう合意の共通基盤とでも言うべきものなのだ。 (p126~127 「スペイン内戦回顧」)
ナショナリストは、ただ強者の側につくという原則で行動しているわけではない。むしろ逆であって、いったん自分がどちらの側につくか決めたなら、ナショナリストはそちらの側こそが強者であると自分で信じ込むのであり、事実が圧倒的に不利な場合でも自分の信じたことに固執するのだ。ナショナリズムとは自己欺瞞によって強化された権力欲だ。ナショナリストはみな最も破廉恥な不誠実さえ辞さないが、それでいて――個人よりも巨大な何かに仕えているという意識があるために――自分が正しい側にいるのだという揺ぎなき信念を持っているものだ。 (p154 「ナショナリズム覚え書き」)